家で看取る選択:小さなパピヨンくんが見せてくれた、大きな愛と生きる力

往診日誌

パピヨンくんとの出会い

往診をはじめて間もないころ、小さなパピヨンくんに出会いました。

白黒のお耳が立派な15歳の人形のように可愛い男の子です。

はじめて訪問したときにはすでに心臓、腎臓、呼吸器などの病気を患い、多くのお薬をのんでいました。

かかりつけ医に入院していましたが完治は難しいということが告げられ、最期はお家で過ごさせてあげたいとのご家族の希望で帰宅し往診を依頼くださいました。

血液検査やレントゲンなどのデータをみて、病気の状態を確認しました。

結果は厳しくすでに満身創痍んの状態でした。

にも関わらず、当の本人(犬)は大好きなマットで丸くなり、いたって普通の表情で出迎えてくれました。

私

え、、すごい。本当にこの子のデータ??

これが、正直な私の感想です。

病院勤務時代にこのデータをみて想像する子といえば、入院ケージで点滴につながれ隅っこでうずくまったり、辛そうに横たわる、、、目も合わせてくれず、食欲もなければ、吐いたり下痢をしたり。

そして何週間ともたず、旅立ってしまうというイメージがありました。

それを覆すようにこちらを見据え、クッションの中で自分で姿勢を保つ姿がとても衝撃とともに印象的でした。

病気と向き合いながら過ごした日々

定期的な往診では
・身体検査
・皮下点滴
・出てくる諸症状についての対症療法
・食事の相談
・内服薬の優先順位
・酸素室の入る時間や使い方
・マッサージ
・血液検査
などをおこないました。

途中、あまりにも様子が安定しているため、良化したのかと皆が期待するほどでしたが、検査すると、病気は徐々に進行していました。

大好きなホットケーキさえも食べられなくなりましたが、離れて暮らす大好きなご家族が来て元気づけてくれたり、大好きなお母さまがそばで毎日寝てくれることで、自分らしさや気丈さをたもっているように感じました。

愛に満ちた旅立ちのとき

時が経つにつれ、パピヨン君は次第に食べることが難しくなり、力も少しずつ落ちていきました。それでも彼は、最期の最期まで「自分の足で歩く」ことをやめませんでした。

ある日ご訪問した際、私は驚くべき光景を目にしました。

ほとんど一日中眠っているはずの彼が、すっくりとでも確かに部屋の隅から隅へと歩いたのです。

トイレへむかうため、水をのむため、、、その背中はどこか誇らしげで頼もしく、そして神々しささえ感じるほどでした。

「この子は最後まで、自分らしく生き抜こうとしている。」そう確信した瞬間でした。

そしてそのときは静かに訪れました。

お母さまからのご報告には、こんな言葉が添えられていました。

「それまではいつ逝ってしまうかわからないから、外出もできずにずっと張り詰めていたの。でもその日は、久しぶりに友達を電話をして、心から笑えたのよ。楽しい気持ちで振り向いたら、、息をしていなかった。」

「看取れなかったことが後悔」と、お母さまはおっしゃいました。

けれど私は思いました。。。

きっとパピヨンくんはずっと見ていたのだろう、と。

お母さまが一生懸命自分をみつめ、心配し、ときに悲しそうな顔をするのをずっと感じていたのかもしれません。その姿を見るたびに”お母さんを残していくのが心配”と思っていたのかもしれません。

でもその日は違いました。
大好きなお母さんが久しぶりに明るい声で笑っていた。安心した彼は、その瞬間を「今だ」と選んだのではないでしょうか。
”僕はもう、大丈夫だからね”と。

最期の時から感じたこと

どんな最期にも正解はありません。

けれど彼はきっと、自分らしく、そして愛に満ちた時間の中で旅立つことを選んだのかなと思います。

パピヨンくん、その強さとやさしさをありがとう。

そして最期のときまで大きな愛で包み込んた飼い主さまにも心から感謝を申し上げます。

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